佐伯氏 (豊後国)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/01 14:49 UTC 版)
佐伯氏(さえきし[注釈 1])は、平安時代より豊後国南部の佐伯地方(現:大分県佐伯市)を領した豪族。大神姓臼杵氏の支族で、鎌倉時代より戦国時代に至るまで、主に大友氏に属した。
注釈
- ^ 豊後佐伯氏の仮名表記については、『国史大辞典』 第6巻 「佐伯氏」の項[1]および『日本人名大事典』 第3巻 「佐伯惟治」の項[2]などに見える通り、他の佐伯氏同様に本来の「さえき」と表記するのが通例だが、一部には大分県佐伯市の現行地名表記(大正5年(1916年)7月制定)と同様に「さいき」と表記する例も見られる(『大分歴史事典[3][4]』)。
- ^ 明治時代に熊谷克己が編纂した『豊前古城誌』によれば、元暦元年(1184年)に源義経の命を受けた緒方惟栄が豊前国下毛郡に犬丸城を築いて一族の賀来(佐伯)惟定を配置した。以後惟定は犬丸を名字とし、犬丸氏は天正16年(1588年)に黒田長政に攻め滅ぼされるまで犬丸城主として存続したという[5]。
- ^ 加藤賢成の説によれば、佐伯惟定は文禄3年(1594年)、戦功により玖珠郡、日田郡の2万石に封ぜられたとも言われる[9]。
出典
- ^ 国史大辞典編集委員会 1985, p. 236, §. 佐伯氏.
- ^ 平凡社 1979, p. 37, §. 佐伯惟治.
- ^ 大分放送 1990, p. 354, §. 佐伯惟教.
- ^ 大分放送 1990, p. 355, §. 佐伯惟治の乱.
- ^ 熊谷克己『豊前古城誌 上巻 』99頁
- ^ 佐伯市史編さん委員会 1974, p. 101.
- ^ 『佐伯市史』107頁
- ^ 小川 1980, p. 633.
- ^ 加藤賢成『豊後全史』甲斐書店。1893年。
- ^ 田畑 1963, p. 3.
- ^ 松久敬記「緒方酒造」『日本醸造協会誌』第84巻第4号、日本醸造協会、1989年、246-246頁、doi:10.6013/jbrewsocjapan1988.84.246。
- ^ 緒方 1977, p. 4.
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