豊嶋房太郎とは? わかりやすく解説

豊嶋房太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/16 07:03 UTC 版)

豊嶋 房太郎(てしま ふさたろう、1889年明治22年)1月5日[1][2] - 1979年昭和54年)4月9日[1][2])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。「豊島」と表記される場合がある[2][3]


  1. ^ 西部ニューギニア島にあった第2軍野戦兵器廠部隊は、その一部(将校以下85名)が労働連隊第2大隊に組み込まれ、1945年12月から翌年4月までに同島ホーランジャー(現ジャヤプラ)へ移り、6月8日に帰国船に乗ると田辺港へ同月20日に帰り着く。部隊本隊の内地帰還はマノクワリ乗船(1946年5月14日)から名古屋港に5月27日に入り復員を済ませた[5]
  2. ^ 尼港事件慰霊碑の設置場所であった。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本陸海軍総合事典』第2版、109頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『日本陸軍将官辞典』500頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』275頁。
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』271、275頁。
  5. ^ a b 第2軍(勢)”. www.jacar.go.jp. アジ歴グロッサリー. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2022年12月31日閲覧。
  6. ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。
  7. ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
  8. ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
  9. ^ 『官報』第3533号「叙任及辞令」1924年6月4日。
  10. ^ 『官報』第3283号「叙任及辞令」1937年12月10日。
  11. ^ 『官報』第2130号「叙任及辞令」1934年02月09日。
  12. ^ 『官報』第3682号「叙任及辞令」1939年4月17日。
  13. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  14. ^ 『官報』第4632号 付録「辞令二」1942年6月20日。


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