観念学
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観念学(idéologie, イデオロジー)は、フランスで18世紀後半から19世紀前半にかけて主導的だった哲学思潮を指す。ジョン・ロックのイギリス経験論の流れを汲むフランスの哲学者エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックの分析論と理想言語論(記号論)はフランス自然科学(化学、生物学、生理学など)の分野で応用され大きな成果をあげた。人間の観念[idée、イデ](思惟・感覚・意思など)領域に対してものコンディヤックの思想、方法論を適用することで人間を学的に理解することをもって人間の幸福実現をめざしたフランス革命前後の思想・哲学潮流が「観念学(イデオロジー)」である。
- ^ 1.松永澄夫『哲学史を読む II』東信堂、2008年6月。pp.220-221.
2.より正確には、1801年に発表された『仏共和国のエコール・サントラルのための観念学原論の計画』を1803年から刊行され始めた『観念学原論』の第一巻とした。同書、p.243(註4) (以下、『哲学史を読むII』と略す) - ^ 「ラヴォワジェの著作にはコンディヤックの影響が色濃く見られ、ラマルクはその著作の冒頭に、分析の方法への賛辞を書き記」した。「(*コンディヤック)のこの分析の方法によってのみ、あらゆる学問が真の進歩を遂げ、この学に関わる諸対象が混乱なく完全に認識されうる(ラマルク『動物哲学緒論』)」(略)「この方法は化学的現象に向けられればラボワジェの成果に結実し、生命現象に向けられときには、ビシャの組織分類に結実する。(『哲学の歴史〈第6巻〉』8章「観念学派とその周辺」村松正隆、2007年、572-573頁。 以下『哲学の歴史6』と略す)
- ^ ルイ16世を処刑した革命派の元聖職者で、革命後は師範学校の設立などに尽力した。引用文は、師範学校設立のための演説の一部(『哲学の歴史6』,p.273-4,および註2)
- ^ スタンダール『恋愛論』訳:生島遼一,鈴木昭一郎、人文書院、1972年。14頁.(『哲学の歴史6』p.575より孫引き。太字は引用者)
- ^ コトバンク<イデオロジスト【idéologiste[フランス】>]
- ^ 『言葉と物』第7章 五「観念学と批判哲学」および固有名詞索引"デステュット・ド・トラシ""ビシャ"並びに"コンディヤック"。ほか、観念学と直接名指ししなくても「人文諸科学」として多数の箇所で論じている中にはかなり観念学派が含有されている。(言葉と物 1974)(原著:1966)
- ^ 合田正人「19世紀フランス哲学--「人間の科学」の光と翳」『明治大学人文科学研究所紀要』第62巻、明治大学人文科学研究所、2008年3月、 31-65頁、 ISSN 05433894、 NAID 40016177402。
- ^ 例えばミシェル・フーコーは『言葉と物』の中で、「われわれの近代性の発端は」「《人間》とよばれる経験的=先験的二重体がつくりだされた日に位置づけられる」として「そのとき、二種類の分析の誕生が認められた。ひとつは、肉体の空間に宿り、知覚や感覚器官のメカニズムや運動神経の図式や物と有機体に共通する分節などの研究」「もうひとつは、人類の諸幻想の研究をつうじて」とコンディヤックを起源とする18世紀フランス哲学の位置を描写した。『言葉と物』第九章「人間とその分身」。338-339頁
- ^ 『哲学の歴史6』(執筆:村松正隆)、576頁.
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