藤田直廣とは? わかりやすく解説

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藤田直廣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 16:50 UTC 版)

藤田 直廣(ふじた なおひろ、Naohiro Fujita、1948年4月2日 - )は、広島県出身の元レーシングドライバー。1970年代から1983年まで富士グランチャンピオンレース全日本F2選手権に参戦、フォーミュラ・パシフィックグループCなど多くのカテゴリーで活躍した。名車ポルシェ・956に最初に乗った日本人レーサーでもある[1]。1981年富士グランチャンピオンレースチャンピオン。


注釈

  1. ^ 藤田は鈴鹿参戦を止めたが、星野一義長谷見昌弘松本恵二高橋健二桑島正美らは参戦を止めなかった。結果的に富士側からの重いペナルティはなかった。
  2. ^ 松浦は前年(1975年)からFL500で速かった新人・中嶋が気になっていた。1975年11月の最終戦JAFグランプリで藤田は松浦から「あいつ(中嶋)の走りがどんな感じか見てほしい」と頼まれて鈴鹿のS字の丘で中嶋の走りを視察した。藤田は中嶋のレースを見て「コーナーの飛び込みが速くてもちゃんとコントロールできてるし、うまいわ」と松浦に述べている。
  3. ^ 保険の掛け金は1台あたり70万円だった。しだしこの保険は保険会社側が大損したため1年限りで廃された。

出典

  1. ^ THE MAN 藤田直廣 Racing On 1986年12月号 128-129頁 1986年12月1日発行
  2. ^ ワニが空を飛ぶ!?初の国産F2000マシンNOVA-02 ムーンクラフト店長ゆらたくヒストリー 2003年4月10日
  3. ^ 「走る人生」中嶋悟20年の軌跡 意識は世界に グランプリ・エクスプレス1991年ポルトガルGP号 12-13頁 1991年10月12日発行
  4. ^ 鈴鹿ダイヤモンド500キロ自動車レース 500キロ(R)リザルト JAFモータースポーツ
  5. ^ 1981年・藤田直廣の栄光と無冠の帝王の見果てぬ夢 DUNLOPヒストリー
  6. ^ 今だから語ろう25年目の真実/藤田直廣 Vol.051'83全日本富士1000kmレース 日本の名レース100選 三栄 2008年9月10日
  7. ^ TOYOTA F3 Teams ナウモータースポーツ TOYOTAモータースポーツ 2007年月日
  8. ^ パシフィックGP短評・TIサーキット英田 96時間の情景 F1グランプリ特集6月号 62ぺージ ソニーマガジンズ 1994年6月16日発行
  9. ^ 2011年全日本F3選手権富士ラウンド、PLANEXハナシマF308健闘 2011年6月15日
  10. ^ JAF中国とJMRC中国、2012年モータースポーツ入賞者を表彰 日刊自動車新聞 2013年2月8日
  11. ^ サポートレース特別規則書 岡山インターナショナルサーキット 2021年4月10日


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