藤牌営の活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 19:42 UTC 版)
清側の記録である平定羅刹方略(中国語版)3巻にはこう記されている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}"ロシア軍の増援が川で砦へと向かって来ていたため、林興珠は水兵皆に服を脱ぎ川に飛び込むよう命じた。皆は頭に藤牌(トウの盾)をかぶり、大剣を握って敵に向かって泳いだ。ロシア人は慄き、口々に「ああ、大帽のタタール人どもよ!」と叫んだ。我らが水兵は水に潜っていたため、奴らは銃を使えず、盾を被っていたため弾や矢も防げた。水兵は長剣で敵の足首を切り付け、川に落ちたロシア人は死ぬか、さもなければ重傷を負い、残りは敗走した。そして林興珠は水兵を一人も失わず、包囲を始めた。"
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