藍謝堂とは? わかりやすく解説

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藍謝堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/07 03:20 UTC 版)

藍謝堂(らんしゃどう)、または藍謝塾は、1871年明治4年)に実業家・高島嘉右衛門が現在の神奈川県横浜市に開設した私設学校。横浜町学校高島学校とも称された。


  1. ^ 以下の記述は断わりがない限り、石崎泰子「資料よもやま話:高島嘉右衛門と横浜町学校」に依る。
  2. ^ a b 1914年の叙位裁可書「高島嘉右衛門特旨叙位ノ件」添付の「履歴概略」では、「明治四年七月学校設立ノ許可ヲ受ケ横浜市花咲町四丁目及尾上町五丁目ニ英仏独語学校並ニ小学校ヲ設立同五年一月開校シ後年之ヲ横浜市有トス」とされている。
  3. ^ 横浜市観光係編刊『横浜郷土小史』(1941年)48頁「洋風の學校藍謝堂」に写真掲載。
  4. ^ a b 神奈川県権令大江卓による上申(明治5年8月)「…去辛未(明治4年:引用者注)中ヨリ其身居住地内及野毛町拝借地ヘ自費ヲ以学校建設亜国人其他教師数名雇入且書籍竝究理器械図等追々買入諸入費都合三万三千両余モ相掛リ候上右雇入教師ノ給料月々金凡四百円ツツ差出加之貧生徒ヲモ養ヒ候ニ付些少ノ月謝金月棒料ニテハ会計末引足月々金二百両程ツツ自身手元ヨリ差足(後略)」国立公文書館所蔵「神奈川県高島嘉右衛門自費建学賞賜伺」参照。
  5. ^ 城岡啓二氏の調査によれば、カデルリーの雇用契約は明治5年1月から6ヶ月(城岡啓二「日本最初のドイツ語お雇い教師カデルリー(1827-1874)というひと」『人文論集』第57巻2号、静岡大学人文学部、2007年)。
  6. ^ a b 福原律太郎『商略奇才高島嘉右衛門』124-125頁。
  7. ^ a b c d e 植村澄三郎編刊『呑象高島嘉右衛門翁伝』208頁。
  8. ^ 慶應義塾編刊『慶應義塾百年史 付錄』1969年の「一四、明治二十三年以前における慶應義塾出身教職員の分布状況」参照。
  9. ^ 新井恵美子『岡倉天心物語』 神奈川新聞社、2004年(Google ブックス)。


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