菊池武包とは? わかりやすく解説

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菊池武包

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/16 16:28 UTC 版)

菊池 武包(きくち たけかね)は、戦国時代武将肥後菊池氏の第25代[2]当主。詫摩氏出身で詫摩武安の子。官途は肥後守。




  1. ^ a b 系図上は形式的に養子関係とされている。
  2. ^ 菊池武経を不当として、数えない場合は、第24代。
  3. ^ 詫磨、託麻、詫間など、同音のさまざまな漢字が当てられる。
  4. ^ 大友氏の将朽網親満によって捕らわれ、後に自害に追いやられている。
  5. ^ その後、武経は、阿蘇・矢部へ戻り、永正10年(1513年)、弟阿蘇惟豊に譲っていた阿蘇大宮司職を奪還した。
  6. ^ 菊池政隆の死に際して殉死した隈部鎮治の子。
  7. ^ 武包が発給した文書は永正17年9月30日付の所領宛行状1通のみである。一方、大友菊法師丸の実父である大友義長(永正15年没)は、既に菊池氏の当主には菊法師丸が継ぐと表明して、その名代として菊池氏傘下の国人領主たちに安堵状を発給していた(木村忠夫「大友氏の豊後支配」(初出:『熊本史学』42号(1973年)/所収:八木直樹 編『シリーズ・中世西国武士の研究 第二巻 豊後大友氏』(戎光祥出版、2014年))。
  8. ^ ただし、前述の通り、大友氏による菊法師丸擁立の動きは父・義長以来のものであり、菊池武経の追放もそのための一環であったともされる。


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