菊池武時とは? わかりやすく解説

きくち‐たけとき【菊池武時】

読み方:きくちたけとき

[?〜1333]鎌倉末期武将肥後の人。後醍醐天皇隠岐(おき)脱出呼応し博多鎮西探題(ちんぜいたんだい)北条英時(ほうじょうひでとき)を攻めたが、少弐貞経(しょうにさだつね)・大友貞宗離反により敗死した。


菊池武時

作者荒木精之

収載図書菊池氏一族
出版社熊本出版文化会館
刊行年月1991.9

収載図書菊池氏一族
出版社熊本出版文化会館
刊行年月1991.9
シリーズ名荒木精之著作集


菊池武時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/18 14:07 UTC 版)

菊池 武時(きくち たけとき)は鎌倉時代末期の武将菊池氏の第12代当主。菊池隆盛の次男。第10代当主・菊池武房の孫で、第11代当主・菊池時隆の弟にあたる。




注釈

  1. ^ 「忠功」を「功績」の意味に用いる当時の用例としては、『太平記』巻12「千種殿文観僧正奢侈事」の「六波羅ノ討手ニ上リタリシ忠功ニ依テ」や巻32「鬼丸鬼切事」の「朝敵ノ大将を討タリツル忠功抜群トイヘハ」など[2]

出典

  1. ^ a b c 瀬野 2005, p. 200.
  2. ^ a b c d e f g 今井正之助 「解説 正成討死をめぐる諸説と正成の出自」、今井正之助; 加美宏; 長坂成行編 『太平記秘伝理尽鈔』 4巻 平凡社〈東洋文庫 763〉、2007年、467–486頁。ISBN 978-4582807639  pp. 475–476。
  3. ^ 菊池神社”. 菊池市. 2021年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月18日閲覧。
  4. ^ 『官報』第32号「叙任」1883年8月7日。
  5. ^ 『官報』第5810号「叙任及辞令」1902年11月14日。


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