荘公 (燕)とは? わかりやすく解説

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荘公 (燕)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 09:46 UTC 版)

荘公(そうこう、生年不詳 - 紀元前658年)は、君主桓侯の子で、その後を受けて燕国の君主となった。紀元前675年(荘公16年)、とともに恵王を攻撃し、恵王は温に逃亡した。恵王の叔父の王子頽が周王に立てられた。紀元前664年(荘公27年)、山戎が燕に侵入すると、荘公はに救援を求めた。斉の桓公は援軍を発して燕を救い、山戎を撃破して、孤竹まで追撃した。斉の桓公が帰国するにあたって、荘公は桓公を見送りに出て、国境を越えてしまった。桓公はそこで荘公の入り込んだ50里の地を燕に割譲した。紀元前658年(荘公33年)、荘公は死去した。




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