苗代川村への移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:57 UTC 版)
慶長8年(1603年)には串木野郷下名村島平に居住していた被虜人を当地へ移住させ、「鹿児島県地誌」によれば養母村(現在の東市来町養母)より分村し苗代川村として成立したとされ、伊集院郷に属した。慶長19年(1614年)には島津家久によって細工所が設けられ、白焼物を作らせた。 寛文3年(1663年)と寛文9年(1669年)の2度にわたって鹿児島郡鹿児島城下高麗町に居住していた被虜人についても苗代川へ移住させた。苗代川村への移住者に対しては薩摩藩により土地や屋敷・井戸・山林などの生活基盤が支給された。しかし、苗代川は森林鬱蒼とした原始林が広がる土地であり、飲料水にも不便し、陶業に用いる原料や材料もない場所であった。
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