花森安治とは? わかりやすく解説

はなもり‐やすじ〔‐やすヂ〕【花森安治】

読み方:はなもりやすじ

[1911〜1978ジャーナリスト兵庫生まれ第二次大戦中大政翼賛会宣伝部員。戦後大橋鎮子と共に、生活雑誌暮しの手帖」を創刊編集消費者立場からの雑誌づくりで菊池寛賞受賞。「一銭五厘の旗」で読売文学賞


花森安治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 18:16 UTC 版)

花森 安治(はなもり やすじ、1911年10月25日 - 1978年1月14日)は、日本編集者グラフィックデザイナージャーナリストコピーライター。生活雑誌『暮しの手帖』の創刊者。


  1. ^ 松江高等学校一覧 自昭和8年至昭和9年』松江高等学校、1933年、117頁。 
  2. ^ 東京帝国大学一覧 昭和8年度』東京帝国大学、1933年、479頁。 
  3. ^ 戦後は帝人アサヒペンなどの企業に買収されながらも存続していたが、1990年ツムラにより買収されて同社の化粧品部門となり、1997年にツムラが同部門から撤退したことに伴って清算され、企業そのものが消滅した。
  4. ^ a b c d e 船瀬俊介・著『『暮しの手帖』をつくった男 きみは、花森安治を知っているか?』(2016年4月16日、イースト・プレスISBN 978-4-7816-1420-5)
  5. ^ 室靖治『「記録の神様」山内以九士と野球の青春』道和書院、2022年、巻末年表(13)
  6. ^ 東京帝国大学一覧 昭和12年度』東京帝国大学、1937年、517頁。 
  7. ^ 山中恒『欲シガリマセン勝ツマデハ ボクラ少国民 第四部』辺境社、1979年、pp.225 - 226
  8. ^ 花森の死後、第2世紀54号から1986年の第2世紀100号まで、表紙画は藤城清治が担当した。
  9. ^ 当時のアサヒビール吾妻橋工場(東京都墨田区。現在は跡地にアサヒビール本社ビル、墨田区役所、リバーピア吾妻橋が立地)。
  10. ^ 毎日新聞の新春企画で大石ヨシエ代議士と対談した際のエピソードとされている(戸板康二『ちょっといい話』文藝春秋pp.81-82)。
  11. ^ 酒井寛『花森安治の仕事』暮しの手帖社pp.154-155
  12. ^ 来春朝ドラは「暮しの手帖」創業者の軌跡モチーフ(2015年6月26日)、日刊スポーツ、2015年6月26日閲覧。
  13. ^ NHK『とと姉ちゃん』から見る東大 花森安治の青春を「帝国大学新聞」で振り返る - 東大新聞オンライン


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