納富信景とは? わかりやすく解説

納富信景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/12 06:22 UTC 版)

納富 信景(のうとみ のぶかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将鍋島氏と共に龍造寺氏の家臣であった。歴史的な苗字の読み方は「のうどみ のぶかげ」ではなく「のうとみ のぶかげ」と濁らない。


  1. ^ 弟とも。
  2. ^ 『北肥戦誌(九州治乱記)』では、沖田畷の戦いの後に龍造寺氏が島津氏に従属した際、佐嘉より薩摩国へ人質として小林播磨守・土肥相左衛門・副島長門守が出され、何れも5~6ヶ月薩摩に留まった後、天正14年(1586年)6月中旬より家周が交代で薩摩入りし、翌年の夏に佐嘉へ帰ったとする。
  3. ^ 妻は賢景の娘・お鶴。また、母の天林は鍋島茂里に再嫁、その間に生まれた高岳院も鍋島元茂に嫁いで鍋島氏と縁戚関係を結び、これらの要素が納富氏が佐賀藩の着座となることに繋がった。
  4. ^ 納富分(現在の佐賀県鹿島市)の地名に由来する。
  5. ^ a b 肥前千葉氏の歴史”. chibasi.net. 2020年5月26日閲覧。


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