筒井定次とは? わかりやすく解説

筒井定次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/25 02:29 UTC 版)

筒井 定次(つつい さだつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将大名伊賀上野藩主。


注釈

  1. ^ 当代記』の慶長11年「伏見城普請割り当て帳」では1万石当たり100人の出人で、筒井定次は5万石扱いだが、他にも1万5千石で1万石扱いの家もあるが、石田三成19万4000石とあり端数切りされておらず所領高記録ではなく国替え整備などの状態を配慮された普請動員記録である。
  2. ^ 『続武家補佐』『武徳編年集成』『東武談叢』『増補筒井家記』などは高虎の下に預けられたと記述しており、また江戸に預けられたと主張する文献でも、『大和郡山市史』は江戸の鳥居家屋敷を預け場所としている。現在では、『続武家補佐の記述』が定説として採用されている[11]
  3. ^ 大川村指定文化財[17]

出典

  1. ^ a b c d 渡辺江美子「織田信長の息女について」『国学院雑誌』89巻11号、1988年。/所収:柴裕之 編 『織田氏一門』〈論集 戦国大名と国衆20〉岩田書院、2016年。 『系図纂要』織田氏系図で信長の子の十四番目に筒井定次室が記されている。
  2. ^ 小竹文生「豊臣政権と筒井氏 - 「大和取次」伊藤掃部助を中心として」『地方史研究』49巻3号、1999年。
  3. ^ 谷口克広 『信長・秀吉と家臣たち』〈学研新書〉2011年。 末尾資料「徳川三代改易表」に筒井定次「20万石」記載。
  4. ^ 籔 1985, p. 204.
  5. ^ 籔 1985, p. 210.
  6. ^ 籔 1985, p. 208.
  7. ^ 籔 1985, p. 209.
  8. ^ 籔 1985, p. 211.
  9. ^ 籔 1985, pp. 213–214.
  10. ^ 藤田 2018, p. 60.
  11. ^ 籔 1985, p. 217.
  12. ^ a b 籔 1985, p. 218.
  13. ^ 小和田泰経「伊賀上野城」 『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本の城・城合戦』西東社、2016年、113頁。 
  14. ^ a b 歴史群像編集部 編 『戦国時代人物事典』学習研究社、2009年。ISBN 978-4054042902 
  15. ^ 清水紘一「筒井定次」(五野井隆史監修『キリシタン大名―布教・政策・信仰の実相―』宮帯出版社、2017年)
  16. ^ 結城 1999, p. 364.
  17. ^ 大川村の文化財国立国会図書館WARP 2020年3月3日閲覧
  18. ^ 「資料見聞-織田信長朱印状 筒井順慶宛 個人蔵」『高知県立歴史民俗資料館だより・ 岡豊風日(おこうふうじつ)』第108号、2019年11月 1日発行国立国会図書館WARP 2020年3月3日閲覧


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