第一次党錮の禁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 08:07 UTC 版)
166年に司隷校尉の李膺と太学の学生の郭泰や賈彪などからなるいわゆる「清流派」と呼ばれる者達が朝廷に於いて、中常侍の専横を批判し罪状を告発したが、中常侍たちは逆に「党人どもが朝廷を誹謗した」と訴え、李膺ら清流派党人を逮捕した。逮捕者は豪族達の運動で死罪は免れたものの、終身禁錮の刑に処された。これを第一次党錮の禁という。
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