立作太郎
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立 作太郎(たち さくたろう、1874年(明治7年)3月15日[1] - 1943年(昭和18年)5月13日[1][2])は、日本の法学者(国際法)。東京帝国大学教授。
- ^ a b c 立作太郎博士論行委員会 1946
- ^ 『官報』第4906号、昭和18年5月24日、p.612
- ^ a b c d e f g h i j k 『日本近現代人物履歴事典』315頁。
- ^ a b c 『国史大辞典』第9巻、188頁。
- ^ 『官報』第4208号、明治30年7月13日、p.184
- ^ 『東京帝国大学一覧 従明治30年至明治31年』東京帝国大学、1897年12月、p.338
- ^ 『官報』第6530号、明治38年4月11日、p.416
- ^ a b c 『日本人名大事典 現代』468頁。
- ^ 『官報』第2499号、大正9年11月30日、p.712
- ^ 『東京帝国大学一覧 昭和11年度』東京帝国大学、1936年、p.357
- ^ 『新版 日本外交史辞典』548頁。
- ^ フランス人宣教師メルメ・カションの「日本のヒエラルヒーに関する研究」-(≪ Etude sur la hierarchie japonaise ≫)の試訳Brendan Le Roux、松山大学、言語文化研究 第31巻 第2号、2012-03-01
- ^ a b カションの評判幕末の日本とフランス、藤井良治
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