稲葉志津
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 09:52 UTC 版)
稲葉志津(いなばしづ)は、南北朝時代に作られたとされる日本刀(短刀)である。日本の重要文化財に指定されており、愛知県の個人が収蔵している[1]。
注釈
- ^ ただし、稲葉江の所持者については父・重通ではなく、道通自身であるという説もある。刀剣研究家である福永酔剣が著書『日本刀大百科事典』にて行った説明によれば、稲葉江は1585年(天正13年)に光徳によって磨上(すりあげ、長大な太刀の茎を切り縮めて刀身全体を短く仕立て直すこと)と鑑定が行われており、指裏(さしうら)に「天正十三十二月日江本阿弥磨上之(花押)」、指表(さしおもて)に「所持稲葉勘右衛門尉」と金象嵌銘が入れられている[4]。重通は同年7月13日に兵庫頭を受領していることから重通の差料であったとすれば「稲葉兵庫頭」と金象嵌銘に記すだろうとして重通所持の通説に疑問を投げかけており、この頃に勘右衛門の通称名を受け継いでいたのは道通であることから金象嵌銘に記されているのは道通のことではないかという指摘している[4]。
- ^ なお、国宝保存法に基づく国宝指定により、重要美術品の認定資格は消滅している[9]。
用語解説
- ^ 「造込」は、刃の付け方や刀身の断面形状の違いなど形状の区分けのことを指す[10]。
- ^ 「鍛え」は、別名で地鉄や地肌とも呼ばれており、刃の濃いグレーや薄いグレーが折り重なって見えてる文様のことである[11]。これらの文様は原料の鉄を折り返しては延ばすのを繰り返す鍛錬を経て、鍛着した面が線となって刀身表面に現れるものであり、1つの刀に様々な文様(肌)が現れる中で、最も強く出ている文様を指している[11]。
- ^ 「刃文」は、赤く焼けた刀身を水で焼き入れを行った際に、急冷することであられる刃部分の白い模様である[12]。焼き入れ時に焼付土を刀身につけるが、地鉄部分と刃部分の焼付土の厚みが異なるので急冷時に温度差が生じることで鉄の組織が変化して発生する[12]。この焼付土の付け方によって刃文が変化するため、流派や刀工の特徴がよく表れる[12]。
出典
- ^ a b c d 短刀 稲葉志津 - 刀剣ワールド 2020年12月13日 閲覧
- ^ a b c d e 兼氏(かねうじ)- 刀剣ワールド 2020年12月13日 閲覧
- ^ a b c 小和田 2015, p. 261.
- ^ a b c d e f g h i j k 福永 1993, p. 103.
- ^ a b c d e f g h i j 大阪歴史博物館 & 刀剣博物館 2020, p. 139.
- ^ 川見典久「「享保名物帳」の意義と八代将軍徳川吉宗による刀剣調査」(pdf)『古文化研究 : 黒川古文化研究所紀要』第15号、黒川古文化研究所、2016年、80頁。
- ^ 昭和9年12月20日文󠄃部省告示第305号(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、4コマ目)
- ^ 昭和14年5月27日文󠄃部省告示第337号(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、8コマ目)
- ^ 昭和14年5月27日文󠄃部省告示第338号(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、8コマ目)
- ^ 刀剣春秋編集部 2016, p. 165.
- ^ a b 刀剣春秋編集部 2016, p. 174.
- ^ a b c 刀剣春秋編集部 2016, p. 176.
- ^ a b 大阪歴史博物館 & 刀剣博物館 2020, p. 127.
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