皇帝ハインリヒ3世との対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 08:41 UTC 版)
「ゴットフリート3世 (ロートリンゲン公)」の記事における「皇帝ハインリヒ3世との対立」の解説
1044年4月に父ゴツェロ1世が死去した時、皇帝ハインリヒ3世は、ゴットフリートのロートリンゲン一括相続を認めず、ゴットフリートに上ロートリンゲンを、弟のゴツェロ2世に下ロートリンゲンを分割授封した。ゴットフリートはこれに対し反論したが、これをハインリヒ3世は反逆とみなし、諸侯会議においてゴットフリートから上ロートリンゲン公領を取り上げた。ゴットフリートはハインリヒ3世と戦ったが、1045年7月皇帝に降伏し、翌1046年5月拘禁を解かれた上で上ロートリンゲン公領を再び与えられた。一方、弟ゴツェロ2世に与えられていた下ロートリンゲン公位はルクセンブルク家のフリードリヒに与えられた。1047年には、リエージュの併合を目的として、ホラント伯ディルク4世、フランドル伯ボードワン5世、エノー伯エルマンらとともにハインリヒ3世と再び対立し、ゴットフリートは上ロートリンゲン公位を剥奪された。1049年にハインリヒ3世はホラント伯を倒し、また、ハインリヒ3世に擁立された教皇レオ9世がゴットフリートとフランドル伯を破門する中、同年7月アーヘンにおいてゴットフリートはハインリヒ3世に降伏した。
※この「皇帝ハインリヒ3世との対立」の解説は、「ゴットフリート3世 (ロートリンゲン公)」の解説の一部です。
「皇帝ハインリヒ3世との対立」を含む「ゴットフリート3世 (ロートリンゲン公)」の記事については、「ゴットフリート3世 (ロートリンゲン公)」の概要を参照ください。
- 皇帝ハインリヒ3世との対立のページへのリンク