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発子女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 10:02 UTC 版)

發子女王
久邇宮
続柄 多嘉王第1王女

身位 女王
敬称 殿下
出生 1911年4月16日
日本
死去 (1915-06-26) 1915年6月26日(4歳没)
埋葬 1917年7月2日
日本京都市下京区今熊野町、久邇宮墓地
(現:京都市東山区
父親 多嘉王
母親 多嘉王妃静子
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發子女王(はつこじょおう、1911年明治44年)4月16日 - 1915年大正4年)6月26日)は、明治大正時代の日本の皇族

生涯

1911年(明治44年)4月16日久邇宮家の多嘉王同妃静子の第1女子として誕生[1]

1915年(大正4年)6月21日未明に突然発熱、嘔吐および粘液膿状の下痢により痙攣状態となった。その後徐々に衰弱、25日午後4時20分に危篤となり翌26日午前8時に薨去した[2]

同年7月2日京都市下京区今熊野町(当時、現:京都市東山区)の墓地(元法安寺跡)において葬儀が執り行われた[3]

血縁

系譜

發子女王 父:
多嘉王
祖父:
朝彦親王久邇宮
曽祖父:
邦家親王伏見宮
曽祖母:
鳥居小路信子
祖母:
泉萬喜子
曽祖父:
泉亭俊益
曽祖母:
不詳
母:
静子
祖父:
水無瀬忠輔[注釈 1]
曽祖父:
裏松勲光
曽祖母:
不詳
祖母:
水無瀬富子
曽祖父:
東園基敬
曽祖母:
不詳

脚注

注釈

  1. ^ 水無瀬経家の養子

出典

  1. ^ 皇室略牒 明治44年(NDLJP:780700
  2. ^ 『官報』第870号「物価号外」大正4年6月26日(NDLJP:2952976/1
  3. ^ 『官報』第873号「宮廷録事」大正4年6月30日(NDLJP:2952979/1



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