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町田睿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/10/05 04:37 UTC 版)

町田 睿(まちだ さとる、1938年 - )は、日本銀行家フィデアホールディングス取締役会議長・北都銀行取締役会長

目次

略歴

人物

両親とも、教職に従事する家庭の、4人兄弟の長男として、秋田県仙北郡(現・大仙市)に生まれ、後に、秋田市に移住する。[1]

秋田県立秋田高等学校に進学し、同校では、生徒会長を務め、卒業後は、東大法学部に進む。在学中のクラスメートには、堤富男通産省事務次官、永島旭中国銀行頭取(元日銀理事)らがいた。[2] 就職の際、当時は、金融機関が最も早くから、就職活動を受け付けており、それならば、銀行を受けようと思い、三菱銀行富士銀行のどちらがよいか、先輩に相談した所、「何の係累もない、田舎者は(三菱銀では、)だめだ。」の助言を入れ、大衆性があった富士銀行に入行した。

富士銀時代は、一時、体調を崩した時期もあったが、総合職一般職の新人事制度の立案、他行差別化を図るための、商品企画、広報戦略等を手がけたほか、全国銀行協会一般委員長も務め、富士銀のエースとして活躍した。

1994年、頭取就任以来在任8年目となっていた笹原信一郎の後任含みとして、富士銀行企画担当筆頭常務より転じ副頭取に就任。翌年、頭取に昇格する(町田と同期の、他行企画担当役員は、その後全員頭取に昇格している。これに関して町田は多くを語らないが、「私は、ずっと、裏方仕事に徹していました。」と雑誌の取材に対して答えている)。[3]

頭取在任時は、内陸部、山形市周辺部への攻勢の橋頭堡としての荘銀山形ビルの建設、東証1部への上場等矢継ぎ早の施策を講じ、従来「殿様銀行」などと揶揄されていた弛緩した組織に大変革をもたらし、小粒ではあるが個性の光る金融機関へと変貌を遂げさせた。2002年4月には、自身の後任含みとして、富士銀時代の元部下であり、当時の富士銀常務であった里村正治を代表権のある副頭取として招聘し、自身の路線を発展・継承させようとしていたが、自身の出身地に本店を置く北都銀行との資本提携話が持ち上がったために、結果として人事の面に於いては路線変更を余儀なくされた(このため、里村は町田の頭取退任と同時に会長に昇格)。

2009年9月30日付で、荘銀の取締役会議長は辞任。翌10月1日より、新たに、フィデアホールディングス取締役会議長に就任し、さらに、北都銀行取締役会長にも就任し経営全般に対して、斉藤永吉頭取をサポートし、北都銀の経営改善の進捗状況を見守ることとした。[4]


趣味は、囲碁(5段)、ジョギング、クラシシック音楽鑑賞、小唄。 荘銀勤務となり、鶴岡において自動車免許を取得した。

夫人との間に三男。

関連項目 

外部リンク 

参考文献

  • ニッキン(日本金融通信)縮刷版 日本金融通信社
  • 日本金融名鑑(上) 日本金融通信社

脚注

  1. ^ 月刊金融ジャーナル1997年8月号、2006年9月号 金融ジャーナル社
  2. ^ 週刊ダイヤモンド 1995年12月2日号 ダイヤモンド社
  3. ^ 週刊金融財政事情 2002年2月24日号 金融財政事情研究会
  4. ^ 秋田魁新報2009年9月26日




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