生還したグループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 03:45 UTC 版)
「富士山大量遭難事故 (1972年)」の記事における「生還したグループ」の解説
助かったグループはいずれも強行下山せず待機したことで難を逃れた。 京都岳友会は20日朝6時に七合目から下山を開始し1時間15分で一気に二合八勺まで降りたが、「一日ぐらい会社を休んだって良い」とテントを張り待機していた。豊川市の3人は新二合目にテントを張ったものの、冬山の経験が浅く悪天候への対処法を知らなかったため身動きが取れずずっと待機したことが幸いして難を逃れた。食料、燃料ともを豊富に持っていたため下山を強行する必要もなかったが、ラジオは天気予報しか聞いておらず、大量遭難が発生していたことも自分たちが捜索されていたことも知らなかった。
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