王寧嬪
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寧嬪王氏(ねいひん おうし、? - 1542年[1])は、明の嘉靖帝の妃嬪。
経歴
嘉靖19年1月10日(1540年)、嘉靖帝は閻貴妃の死を悼み、子供を産んだ妃嬪らが進封された。王氏は子供がなかったが、寧嬪となった。家族の王稠は正五品錦衣衛千戸に任じられた[2]。
嘉靖21年10月(1542年)、15人の宮女が熟睡中の嘉靖帝を絞殺しようとした暗殺未遂事件(壬寅宮変)が起こった。宮女らの供述によって、王寧嬪が主謀者とされた。同月、宮女たち、王寧嬪、曹端妃(直接関与しなかったが内情を知っていた)は謀叛罪で凌遅刑に処された。彼女たちの家族から10人が連座して斬首刑に処され、20人が奴隸に落とされた。
伝記資料
- 『明世宗実録』
- 『明史』
脚注
王寧嬪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 02:57 UTC 版)
嘉靖帝の妃嬪。壬寅宮変の主犯とされ、1542年、処刑された。
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