燕京等処行尚書省とは? わかりやすく解説

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燕京等処行尚書省

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/29 02:56 UTC 版)

燕京等処行尚書省(えんけいとうしょ-こうしょうしょしょう)は、モンゴル帝国によって設置された中国華北地方(モンゴル名:ヒタイ)の統治機関。「燕京」とは金朝の首都「中都」の別称であり、「燕京等処行尚書省」という名称が定められるまでは「燕京行台尚書省」・「燕京行尚書省」・「燕京行省」・「燕京行台」・「中都行省」・「中都行台」といった様々な表記がなされていた。


  1. ^ 前田1973,145頁
  2. ^ 訳文は村上1976,232-233頁より引用
  3. ^ 鉄門は居庸関のことで、「黄河より北、鉄門より南の天下」といえば実質的にモンゴル領の漢地全体を指す。また、「都ダルガチ」は通常のダルガチの上位に位置する「イェケ・ダルガチ」の漢訳であり、あわせてモンゴル支配下のダルガチを統べる地位にあることをあらわす称号であったと見られる(前田1973,149-151頁)
  4. ^ 川本2013,145-147頁
  5. ^ 『元史』巻2太宗本紀,「元年己丑夏……命河北漢民以戸計、出賦調、耶律楚材主之。西域人以丁計、出賦調、麻合没的滑剌西迷主之」/『聖武親征録』「己丑八月二十四日、諸王・駙馬・百官大会怯緑連河闊帖兀阿闌、共冊太宗皇帝登極。太宗遂議徴収金国、助貧乏、置倉戍、創駅站。命河北先附漢民賦調、命兀都撒罕主之、西域賦調命牙魯瓦赤主之」
  6. ^ 『元史』巻2太宗本紀,「冬十一月,始置十路徴収課税使。以陳時可・趙昉使燕京、劉中・劉桓使宣徳、周立和・王貞使西京、呂振・劉子振使太原、楊簡・高廷英使平陽、王晋・賈従使真定、張瑜・王鋭使東平、王徳亨・侯顕使北京、夾谷永・程泰使平州、田木西・李天翼使済南」
  7. ^ 『元史』巻3憲宗本紀,「元年辛亥夏六月……遂改更庶政。命皇弟忽必烈領治蒙古・漢地民戸。遣塔児・斡魯不・察乞剌・賽典赤・趙璧等詣燕京、撫諭軍民……以牙剌瓦赤・不只児・斡魯不・睹答児等充燕京等処行尚書省事、賽典赤・匿昝馬丁佐之」


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