淳宮雍仁親王とは? わかりやすく解説

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秩父宮雍仁親王

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 07:44 UTC 版)

秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう、1902年明治35年〉6月25日 - 1953年昭和28年〉1月4日)は、日本皇族大正天皇貞明皇后の第二皇子。明治天皇の皇孫にあたる。昭和天皇は兄、長弟に高松宮宣仁親王、次弟に三笠宮崇仁親王がいる。第125代天皇明仁は甥、第126代天皇徳仁秋篠宮文仁親王は大甥にあたる。


  1. ^ 宮内庁 旧秩父宮
  2. ^ 皇室略牒 宮内省図書寮
  3. ^ a b わが武寮 1982 p.515
  4. ^ a b c わが武寮 1982 p.413
  5. ^ a b c 『昭和史の謎を追う〈上〉』文藝春秋、1999年。ISBN 4167453045 
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、31頁。
  7. ^ 官報』第1499号「叙任及辞令」1931年12月28日。p.742
  8. ^ 『官報』第1476号「叙任及辞令」1931年11月30日。p.701
  9. ^ 旧弘前偕行社”. 旧弘前偕行社の歴史. 2020年9月28日閲覧。
  10. ^ 原武史、保坂正康『対論 昭和天皇』文春新書、2004年
  11. ^ 『秩父宮雍仁親王』
  12. ^ 『昭和天皇独白録』文藝春秋、1995年。ISBN 4167198037 
  13. ^ 「秩父宮 軍紀の乱れ懸念/日中戦争初期の書簡」『読売新聞』朝刊2020年11月15日1面
  14. ^ 「秩父宮書簡 真摯な姿示す/保坂正康氏に聞く」『読売新聞』朝刊2020年12月2日(文化面)
  15. ^ 『官報』第5822号(昭和21年6月13日)
  16. ^ 【TBSスパークル】1953年1月4日 秩父宮様なくなる(昭和28年) TBSスパークル映像ライブラリー
  17. ^ 1953年1月12日『朝日新聞』夕刊「氷雨のなか故秩父宮御葬儀 告別に人波二万五千」
  18. ^ 1953年1月12日『朝日新聞』夕刊「豊島岡へのしめやかな葬列 妃殿下の頭上らず」
  19. ^ 1953年1月10日『朝日新聞』「陛下はなぜお出にならぬか 親王葬儀御参列は“異例”」
  20. ^ 『官報』第4438号 付録「辞令二」1941年10月23日
  21. ^ 山階会『山階宮三代 下』P.291
  22. ^ 歴史・沿革 (公財)日本ラグビーフットボール協会


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