深瀬俊夫とは? わかりやすく解説

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深瀬俊夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 08:02 UTC 版)

深瀬 俊夫(ふかせ としお、1946年11月26日[1] - 2007年2月26日[2])は、日本経営者栗田俊夫という名義で、作曲家編曲家としても活動した。

作曲家・栗田俊夫

東京都生まれ[1]東京音楽大学に学び、在学中から、叔父にあたる作曲家の船村徹の下で、栗田俊夫として編曲助手の仕事を始めた[1]

船村の作曲作品などの編曲のほか、一時は年間100本以上のコマーシャル曲を作曲していた[1]。また、埼玉県松伏町の町民歌「まつぶしの歌」なども作曲しており[3]、さらに、アートネイチャーサウンドロゴ[1]テレビアニメサザエさん」の効果音なども手がけていた[4]

経営者・深瀬俊夫

35歳のときに、大分県別府市で飲食業を営んでいた岳父の求めに応じ[1]、別府でキャバレー「窓」の経営者となった[4]。以降、沖縄県那覇市ライブハウスを出店したり、本拠である別府のキャバレーもライブハウスに業態転換して「音楽博物館ヒットパレードクラブ[注釈 1]」とするなど、音楽を前面に出した飲食店の経営にあたるとともに[4][5]、別府国際ジャズフェスティバルや[1]別府アルゲリッチ音楽祭など、地域の音楽イベントの企画運営に深く関わった[2]

この間、別府料飲協同組合理事長、別府市観光協会副会長などを歴任し、死去時には、大分県飲食業生活衛生同業組合理事長であった[2]

脚注

注釈

  1. ^ 2014年に運営会社の経営難で一度閉店したが、新たな運営会社によって経営を再開した。

出典

  1. ^ a b c d e f g “[人あり](261)別府ネオン街から音楽情報発信に挑む深瀬俊夫さん”. 読売新聞・西部夕刊: p. 1. (1994年8月19日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  2. ^ a b c “深瀬俊夫氏(県飲食業生活衛生同業組合理事長)死去”. 読売新聞・西部朝刊・大分: p. 33. (2007年2月28日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  3. ^ まつぶしの歌”. 松伏町. 2016年9月23日閲覧。
  4. ^ a b c “写真風土記:古里を訪ねて 別府/3 女性も楽し、生演奏”. 毎日新聞・西部・大分: p. 23. (2009年2月3日)  - 毎索にて閲覧
  5. ^ ヒットパレードクラブ 温泉ハイスタンダード 極楽地獄 別府



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