千徳氏
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千徳氏(せんとくし)または浅瀬石千徳氏(あせいしせんとくし)は陸奥国を本拠とした氏族。
注釈
- ^ 陸奥国閉伊郡(陸中国東閉伊郡)千徳村、のち下閉伊郡千徳村千徳。現宮古市千徳(字沢)、西ヶ丘、千徳町(せんとくまち)、太田 (宮古市)、神田沢町、板屋 (宮古市)、上鼻(千徳駅所在)、長町 (宮古市)、など[1][2][3][4][5][6][7][8]。
- ^ 青森県南津軽郡田舎館村田舎館。
- ^ 『宮古市史』 75pに「千徳安芸」とあり、安芸守を称した浅瀬石長重の事を指すと思われる。
- ^ 『岩手県史』[要文献特定詳細情報]収録の大宝寺義氏書状によると、天正9年頃には既に浅瀬石城の他10余りの城が為信の手に落ちているとみられることから、千徳政吉の死と、政氏の離反もこの頃ではないかと思われる。
- ^ 河北閉伊氏流の千徳氏と一戸流千徳氏を混同して書いているものと考えられる。
- ^ 『津軽一統志』では浪岡城攻撃を天正6年(1578年)のこととしているが、奥南落穂集では天正16年(1588年)のことだとしている(浪岡城攻撃が数次に渡って行われた可能性もあるが)。
- ^ この同盟は永禄4年(1561年)になされたと言われるが、為信の生年を考えると不自然である。
出典
浅瀬石氏
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