永田方正
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永田 方正(ながた ほうせい、天保15/弘化元年3月1日〈1844年4月18日〉- 1911年〈明治44年〉8月22日)は、明治時代の日本の教科書編纂者、教育者、アイヌの言語及び地誌研究者。日本人初の単独での聖書和訳(抄訳)者でもある。旧西条藩臣。
- ^ 最初に方正の伝記を記した今西龍「永田方正君小傳」では「天保九年三月一日」生まれとされ(典拠不明)、それにならったものか、函館市編『函館市功労者小伝』でも「天保九年」とされているが、磯ケ谷紫江『墓碑史蹟研究 第7巻』によれば、1913年(大正2年)8月に建立された「永田方正翁碑」(巣鴨・妙行寺)には「弘化元年生」と銘記されていたという。また、木下清氏が収集した2種の履歴書(北海道庁行政資料課蔵)では、「天保十五甲辰三月一日生」又は「弘化元年甲辰三月朔日」と記されており、方正自身が提出した書類であることから、多くの伝記では後者を生年としている。なお、明治以前は改元に際しては当該年の元日に遡って元年とされたため、公式的には「弘化元年」生まれとされる。
- ^ 木下 1975, p.23-26
- ^ 木下 1975, p.27-31
- ^ 木下 1975, p.31-38
- ^ 木下 1975, p.38
- ^ a b 木下 1975, p.39
- ^ 『日本キリスト教歴史大事典』p.1106
- ^ 木下 1975, p.40
- ^ 木下 1975, p.40-41
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