武社国造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:56 UTC 版)
武社国造(むさのくにのみやつこ・むさこくぞう)は、後の令制国の上総国武射郡、現在の千葉県山武市と山武郡芝山町および横芝光町付近を支配した国造[注 1]。
注釈
- ^ 横芝光町のうち栗山川東岸は、下海上国造の領域とされ、あるいは、小川台古墳群を物部匝瑳氏の奥都城とし、物部小事の建てた匝瑳郡の領域ともされる。
- ^ 和邇氏系図では、額田国造と吉備穴国造も同祖とする
- ^ 『前方後円墳集成』における集計では、日本最多の677基の前方後円墳が確認されている。
- ^ 『帝王編年記』は上総国の成立を安閑天皇元年(534年)としており、上総国と下総国の分割を、同時期の6世紀中葉とみる説もある。
- ^ 『日本書紀』安閑天皇元年(534年)4月条には、同族とされる和邇氏を母に持つ春日皇后のため、伊甚屯倉が設置された、とする記事がある。
- ^ 木戸川流域の、小池・芝山古墳群と大堤・蕪木古墳群の中間に山室姫塚古墳があって、終末期の大型円墳とされることから、武社国造の地位が一時期東の木戸川流域の勢力に移ったことも考えられる。
- ^ 境川東岸の胡麻手台古墳群の下流に、武射郡衙跡とされる嶋戸東遺跡や、房総で最も早い時期の創建とされる真行寺廃寺がある。
- ^ この時期の、用明天皇、推古天皇の陵墓である、春日向山古墳、山田高塚古墳は、いづれも方墳である。
- ^ 同時期、須恵国造、馬来田国造、印波国造、上毛野国造の領域には、それぞれ大型方墳である、割見塚古墳、松面古墳、龍角寺岩屋古墳、総社愛宕山古墳が築造された。
- ^ 同時期、无邪志国造の領域には大型円墳八幡山古墳、下毛野国造の領域にも大型円墳壬生車塚古墳が築造された。
出典
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