楠木正忠とは? わかりやすく解説

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楠木正忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:11 UTC 版)

楠木 正忠(くすのき まさただ)は、戦国時代の武将・大名。初名は川俣 忠盛(かわまた ただもり)。楠木氏嫡流伊勢楠木氏第6代当主。伊勢国北勢四十八家楠(くす)城城主。楠木正成の子孫正充の子で正具の父。一次史料では「下浦兵部少輔」「楠兵部大輔」として現れる。伊勢国司北畠家神戸氏と縁戚関係を結び、さらに公卿山科言継と関係を深め、伊勢楠木氏の勢力を強めて中興の祖となった。同族の正虎の活躍により、先祖朝敵の汚名を返上し、楠木姓も回復した。しかし、最晩年に、織田信長の伊勢侵攻に屈して独立諸侯としての地位を喪失、織田氏家臣滝川一益に従属する与力大名となったまま、失意のうちに没した。


注釈

  1. ^ a b 享年[1]から逆算。
  2. ^ 『旧讃岐高松藩士楠氏家蔵文書』「
     建武之比、先祖正成依為朝敵被、勅勘一流已沈淪訖。然今為其苗裔悔先非、恩免之事、歎申入之旨、被聞食者也。弥可抽奉公之忠功之由、天気如此悉之以状。
      永禄二年十一月廿日 右中弁(花押)
       楠河内守殿
    並に、
     楠木正成は、建武の古、朝敵たるによりて累葉誅罰せられ候へども、唯今正虎先非を悔いて歎き申候程に、赦免せられ候。弥々奉公の忠を致し候様に仰せ聞かせられ候べく由、心得て申べく候、かしく。
      万里小路前大納言殿へ」(万里小路前大納言は万里小路惟房[12]
  3. ^ 六角義賢は、前年の弘治3年(1557年)、長子に家督を譲り入道して承禎と名乗っていた[16]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 藤田 1938b, pp. 31–37.
  2. ^ a b c d e f 山科 1914, p. 226–228
  3. ^ a b 楠町史 1978, p. 88.
  4. ^ a b c d e f g h 宗牧 1894, p. 1518
  5. ^ a b c d e 山科 1914, p. 86
  6. ^ 鎌田純一 「荒木田氏」 『国史大辞典吉川弘文館、1997年。 
  7. ^ 藤田 1938b, pp. 75–76.
  8. ^ 藤田 1938b, p. 70.
  9. ^ a b c d 新編楠町史 2005, p. 73.
  10. ^ 山科 1914, p. 121
  11. ^ a b c d e f g h i 新編楠町史 2005, pp. 73–74.
  12. ^ 藤田 1938, pp. 451–452.
  13. ^ 藤田 1938b, p. 74.
  14. ^ 新編楠町史, pp. 74–75.
  15. ^ a b 藤田 1938b, p. 71.
  16. ^ 畑井弘 「六角義賢」 『国史大辞典吉川弘文館、1997年。 
  17. ^ 楠町史 1978, pp. 83–85.
  18. ^ a b 新編楠町史, p. 76.


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