梁川城とは? わかりやすく解説

梁川城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/10 07:36 UTC 版)

梁川城(やながわじょう)は、福島県伊達市梁川町鶴ヶ岡にあった日本の城平山城)。国の史跡に指定されている(指定名称は「伊達氏梁川遺跡群」)[1][2]


  1. ^ 令和元年10月16日文部科学省告示第77号。
  2. ^ 史跡等の指定等について(文化庁報道発表、2019年6月21日)。
  3. ^ 福島県では一般的に、鶴ヶ城といえば会津若松市の若松城を意味する。
  4. ^ ただし文書上で明確なのは11代持宗 - 14代稙宗。
  5. ^ 現在の福島県伊達郡桑折町、伊達市にあった。伊達氏が本拠地を移すと米沢、会津、岩出山へと一緒に移転され、現在の仙台市の北山五山へとつながる。
  6. ^ 佐藤家忠は福島を本貫とする地侍(信夫佐藤氏18代目)。古川重吉は信濃衆(更級郡塩崎城主・小笠原氏の出身)で不仲説もあるが、現在は西根神社に、信達総鎮守として共に祀られている。
  7. ^ 西根堰福島市北部から伊達郡桑折町、伊達郡国見町を経て伊達市に至る農業用水路。21世紀の現在も維持管理されている。下堰(したぜき)と上堰(うわぜき)の2つの水路があり、灌漑面積は約1,400ha。
  8. ^ 当時、米沢藩の実高は51万石余に増加している。
  9. ^ 「尾張藩連枝より以前の天領期間中に破却され、松平氏の家老が新たに陣屋を建てた」という説もあるが、御三家筆頭の連枝をいきなり無城大名にはしにくい点(少将に上り伺候席が大広間であり、松平通春のように尾張藩を継ぐ場合もある)、伊達郡は仙台の伊達氏の本貫地であり警戒が必要である点から異論もある。
  10. ^ 本丸には大きな城址碑と雷神の祠がある。城址碑には「大篠氏居城 綴麻森 袖ヶ崎城址」と刻まれている
  11. ^ 日本城郭大系』の図(大枝城)を参照


「梁川城」の続きの解説一覧




固有名詞の分類

このページでは「ウィキペディア」から梁川城を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から梁川城を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から梁川城を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「梁川城」の関連用語

梁川城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



梁川城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの梁川城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS