栗田勤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/18 14:11 UTC 版)
栗田 勤(くりた いそし[1]、安政4年(1857年) - 昭和5年(1930年)10月15日)は、明治・大正時代に活動した歴史学者、漢学者。号は晦屋(かいおく)[2]。
栗田寛の兄の子として生まれ、後に寛の養子となる[2]。家塾輔仁学舎(かじゅくほじんがくしゃ)[3]に学び、のちその塾頭として教育に尽力した。寛の事業『大日本史』「表」、「志」の編纂・校訂を継いで、明治39年(1906年)にこれを完成させた。墓所は水戸市六地蔵寺。
著書に『水戸学本義』『水藩修史事略』など[5]。
脚注
- ^ アーカイブズ展 序章 -栗田寛の見た近代日本 (PDF) - 茨城県立歴史館
- ^ a b 但野正弘「大日本史の完成とその歴史的意義」 - 常磐神社ウェブサイト
- ^ 照沼好文『栗田寬博士と「継往開来」の碑文』(錦正社,2002)P11
- ^ コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 栗田健男
- ^ 20世紀日本人名事典の解説 栗田 勤
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