松平定直
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松平 定直(まつだいら さだなお)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。伊予国松山藩の第4代藩主。定勝系久松松平家宗家5代。官位は従四位下・侍従。
- ^ 山本博文『これが本当の「忠臣蔵」 赤穂浪士討ち入り事件の真相』(2012年)254p
- ^ 当時の切腹は形骸化したが、それでも腹に触れる所作(実際には切らない)の後に介錯が正しい作法。
- ^ 通常は血が散逸しないよう、清めの白紙を敷いた台に安置して検使に見せる。
- ^ 久松松平家文書「波賀清太夫覚書」。同書は介錯人本人の手になるもの。
- ^ 宮澤誠一『赤穂浪士 紡ぎ出される忠臣蔵』(1999年)191p
- ^ 「アル書ニ載ス。此時御預リ四家ノ優劣ヲ詠ゼシ歌」『浅野一乱記』
- ^ 赤穂民報「松山市の紙芝居「赤穂浪士松山藩外伝」、上仮屋の「赤穂かきまつり」でも披露」ほか
- ^ 享保5年(1720年)、松平定直の子・定英は父の遺物として襲封の際に将軍家に献上した。(『寛政重修諸家譜』)
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