松倉城 (越中国)とは? わかりやすく解説

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松倉城 (越中国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 13:30 UTC 版)

松倉城(まつくらじょう)は、越中新川郡松倉村(現在の富山県魚津市)にあった日本の城山城)。別名「金山城」または「鹿熊城」。富山県史跡[1]越中三大山城の一つ。とやま城郭カードNo.3[2][3]


  1. ^ 「種類別指定文化財一覧」富山県公式HP
  2. ^ 「とやま城郭カードが完成しました!」砺波市公式HP
  3. ^ 「とやま城郭カード一覧」砺波市公式HP
  4. ^ 『富山県市町村地図』(1994年7月25日、北日本新聞社発行)98頁。
  5. ^ 『広報うおづ 平成7年6月号 No.595』10頁『入城の門広場が完成』より。
  6. ^ 佐々家は養子や兄の一族が細川氏・水戸徳川氏・上杉氏などで存続。
  7. ^ 同年の蒲生騒動に伴う上杉家の東蒲原と新川の交換による。「加賀藩文書」(前田育徳会など)に加増や城の受け取りを記した記録(ただし、豊臣家からの新川郡宛行状がなく江戸期に問題にされる)。
  8. ^ 富山県教育委員会・魚津市教育委員会(平成17年3月)
  9. ^ 北日本新聞』2020年11月22日付22面『先人の知恵と自然体験 踏破ルポ 魚津 松倉城跡の古道復活 急峻地形 巧みに利用』より。
  10. ^ 上杉家文書(『上杉年譜』、『大日本史料』、『越佐史料』)
  11. ^ 『富山県の歴史散歩』(山川出版社、2013年3月31日1版3刷発行)42頁。
  12. ^ 『日本城郭大係 第7巻 新潟・富山・石川』(1980年12月10日、新人物往来社発行)271頁。
  13. ^ 魚津市商工観光課web「魚津城の戦い」ほか


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