東京渡辺銀行
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東京渡辺銀行(とうきょうわたなべぎんこう)は、かつて日本に存在した銀行。昭和金融恐慌により経営が破綻した。
- ^ 1904年(明治37年)に資本金が30万円から100万円に増資されたが、「戦前日本における資本市場の生成と発展:東京株式取引所への株式上場を中心として」掲載の「表5 東京株式取引所上場会社の規模分布(公称資本金)」 (PDF, 182 KB) (岡崎哲二・浜尾泰・星岳雄)に拠れば、1900年の東京株式取引所上場会社の公称資本金は、次の通り。最大値は66,000千円、最小値は80千円、Obs.:96
- ^ 1920年(大正9年)に資本金が500万円に増資されたが、「戦前日本における資本市場の生成と発展:東京株式取引所への株式上場を中心として」掲載の「表5 東京株式取引所上場会社の規模分布(公称資本金)」 (PDF, 182 KB) (岡崎哲二・浜尾泰・星岳雄)に拠れば、1915年(大正4年)と1925年(大正14年)の東京株式取引所上場会社の公称資本金は、それぞれ最大値は200,000千円と440,000千円、最小値は50千円と63千円、平均値は8,141千円と11,705千円であった。
- ^ 破綻せぬ銀行を破綻したと声明 片岡蔵相口をすべらす - 大阪毎日新聞 1927年(昭和2年)3月15日
- ^ Sataka, Makoto; 佐高信 (Heisei 16 [2004]). Shitsugen kyōkō : dokyumento ginkō hōkai (Shohan ed.). Tōkyō: Kadokawa Shoten. ISBN 4-04-377501-6. OCLC 60800283
- 1 東京渡辺銀行とは
- 2 東京渡辺銀行の概要
東京渡辺銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:44 UTC 版)
第二十七国立銀行として設立され、二十七銀行を経て1920年に東京渡辺銀行と改称した。経営者一族の関連企業に多額の貸付を行い機関銀行としての性格が強かったが、これらの融資が戦後不況で焦げ付き関東大震災後に経営が悪化した。そして前述の失言で休業した。
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