李淑妃とは? わかりやすく解説

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李淑妃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/09 13:18 UTC 版)

淑妃李氏(しゅくひ りし、1343年以降[1] - 1384年)は、洪武帝の妃。寿州の人。

生涯

明の初年に戦死した広武衛指揮官の李傑の娘である。

明の洪武17年(1384年)、淑妃に封ぜられ、後宮のことをつかさどった。しかしまもなく亡くなった。外史によると、洪武帝の疑いと不信を買い、迫られて自ら縊死した。

なお洪武帝(朱元璋)の太子朱標・次子朱樉・三子朱棡は洪武帝正妻の馬皇后の子とされているが、生みの親は淑妃であると考えられている[2]

伝記資料

脚注

  1. ^ 李傑の生年(1331年)による。
  2. ^ 荷見 2016, p. 13.



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