木村光之助 (初代)とは? わかりやすく解説

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木村光之助 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/28 00:22 UTC 版)

木村光之助 (初代)(きむら みつのすけ、1893年10月15日 - ?)は、大相撲の元幕内行司。年寄17代。本名・苅谷九郎太。

人物

岐阜県出身と伝えられる。木村光之助で番付に登場するのが、1914年春場所上位から24人目の幕下格の時であった[1]。前名は順位や年齢からみて1903年春場所に名前が出た木村政夫に間違いないと思われる[1]高砂部屋所属。1915年1月ごろ格足袋(十両格)に昇進。1923年1月頃本足袋(幕内格)に昇進する。1927年1月には上位から14人目。1928年1月木村隆輝に改名、1929年1月光之助に戻す。

上位から11人目の1938年5月場所限り目を悪くして行司引退、年寄湊を襲名。木戸部長や桟敷部長などを務めた。相撲協会機関紙にもたびたび巡業報告などを寄稿しており、事務能力のあった人物と思われる。

木戸部長を務めていた1954年9月場所限りで番付から消える。廃業か死亡か不明である。雑誌『相撲』の1955年1月号の最新部屋別力士一覧表の高砂部屋の項に「港は死亡」と書かれており、亡くなった可能性もある[1]。当時の関係者に聞いてもよくわからなかったとのこと[1]

脚注

  1. ^ a b c d 『年寄名跡の代々 湊代々の巻 下』 雑誌相撲、1995年5月号 ベースボールマガジン社発行



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