朝日姫
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朝日姫(あさひひめ)、または旭姫は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。豊臣秀吉の異父妹[1]とされるが、同父妹とする指摘もある[2]。徳川家康の正室[1](継室)。名は旭(あさひ)といわれる。家康との結婚後は駿河御前(するがごぜん)[3]と呼ばれ、死後は法名の南明院(なんめいいん)でも呼ばれる。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 飯田, p. 5.
- ^ 小和田 1985, p. 67.
- ^ 渡辺 1919, p. 286.
- ^ a b c d e 杉山ほか 2007, p. 50.
- ^ 渡辺 1919, p. 283.
- ^ a b c d 渡辺 1919, p. 285.
- ^ 黒田基樹「家康の妻と子どもたち」黒田 編著『徳川家康とその時代』戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 3〉、2023年5月。ISBN 978-4-86403-473-9。P36-37.
- ^ a b 黒田基樹「家康の妻と子どもたち」黒田 編著『徳川家康とその時代』戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 3〉、2023年5月。ISBN 978-4-86403-473-9。P40-41.
- ^ 渡辺 1919, pp. 285–286.
- ^ “旭姫ってどんな人? 築山殿亡き後の家康正室 兄秀吉により前夫と強制離縁、豊臣と徳川の架け橋に”. 静岡新聞. 2023年9月3日閲覧。
- ^ “~令和4年度第3回静岡市文化財保護審議会を開催~静岡市指定有形文化財の指定について答申を受けました。”. 静岡市. 2023年9月3日閲覧。
朝日姫
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