明智左馬助とは? わかりやすく解説

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明智秀満

(明智左馬助 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 01:39 UTC 版)

明智 秀満(あけち ひでみつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将織田家家臣の明智光秀の重臣。福知山城城代。女婿または異説に従弟(明智光安の子)ともいうが、真偽の程は定かではない。


注釈

  1. ^ 同時代史料である『天王寺屋会記』などに見られる。江戸時代の軍記『明智軍記』では、「三宅弥平次」は彼の別号・初名とされている。また彼の死の直後に編纂された『惟任退治記』では「明智弥平次光遠」とある。
  2. ^ 『明智軍記』など後世の編纂物にしか登場しない名前であるが、江戸期以降の史料や創作物の多くでこの名前が使われている。
  3. ^ 信長公記』『川角太閤記』などでは、「弥平次」に代わって使用されている。江戸期以降では、三宅弥平次から明智左馬助に改名したとされることが多い。
  4. ^ いずれも『明智氏一族宮城家相伝系図書」による。

出典

  1. ^ a b c d 高柳 1958, p. 283.
  2. ^ 三省堂編修所編、上田正昭ほか監修『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、20頁。
  3. ^ 高柳 1958, p. 282.
  4. ^ 高柳 1958, p. 127.
  5. ^ a b 二木 1994, p. 201, 風間洋「明智光秀関係人名辞典」.
  6. ^ 福島克彦 著「織豊系城郭の地域的展開―明智光秀の丹波支配と城郭―」、村田修三 編『中世城郭研究論集』新人物往来社、1990年。 
  7. ^ 天寧寺所蔵『福知山市史』通史編
  8. ^ 二木 1994, 長谷川弘道「明智光秀の近江・丹波計略」.
  9. ^ 高柳 1958, p. 280.
  10. ^ a b 高柳 1958, p. 252.
  11. ^ a b 高柳 1958, p. 253.
  12. ^ a b 高柳 1958, p. 254.
  13. ^ 藤本 2010, p. 129.
  14. ^ 島原の乱に関係のあった三宅重利(藤兵衛)の石高や来歴を知りたい。(レファレンス協同データベース:国立国会図書館)
  15. ^ 高柳 1958, p. 213.
  16. ^ 高柳 1958, p. 214.
  17. ^ 小和田 2019, p. 233.
  18. ^ 溜塗打刀(明智拵)”. 文化遺産オンライン. 2023年1月20日閲覧。
  19. ^ 小笠原信夫『刀剣』保育社〈カラーブックス 175〉、1969年、52-53頁。ISBN 978-4586501755 


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