昇進とバス勲章の叙勲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 14:14 UTC 版)
「トマス・ハーディ (イギリス海軍)」の記事における「昇進とバス勲章の叙勲」の解説
1825年5月27日、少将に昇進し、3等艦ウェルズリー(英語版)が旗艦となった。4000人のイギリス部隊を連れてリスボンに行き、1826年12月、当時8歳の女王のおじによる革命の鎮圧を支援した。その後英仏海峡で、実験的な戦隊の指揮官となり、5等艦シビル(英語版)から6等艦ピラマス(英語版)に旗艦を移して、1827年10月21日最後の上陸をした。ハーディは1830年11月、グレイ内閣(英語版)のもとで第一海軍卿となった。そして1831年9月13日にバス勲章を授与された。ハーディは国会議員出馬を拒否した最初の第一海軍卿であり、一方で蒸気船の導入を奨励した。 1834年に第一海軍卿を辞任してグリニッジ病院の総裁となり、1837年1月10日には中将に昇進した。1839年9月20日、グリニッジで死去、遺体は病院内の廟所に埋葬された、ここはその後旧王立海軍大学(英語版)となった。準男爵の位は、死去に伴い断絶した。
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