拓跋部とは? わかりやすく解説

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拓跋部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/12 17:37 UTC 版)

拓跋部(たくばつぶ、拼音: Tuòbá bù)は、鮮卑族の一部族で、華北北魏などの王朝を建てた。托跋部索頭部索虜などとも表記される。


  1. ^ 内田 1975
  2. ^ 森安孝夫 (2006年). “世界史上のシルクロードと唐帝国 森安講義への質問に対する回答(全面的に補足)” (PDF). 大阪大学大学院文学研究科東洋史学研究室 第4回全国高等学校歴史教育研究会. オリジナルの2021年8月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210803113546/http://www.let.osaka-u.ac.jp/toyosi/main/seminar/2006/moriyasu_qa.pdf 
  3. ^ 楊海英『逆転の大中国史 ユーラシアの視点から』文藝春秋、2016年8月11日、168-169頁。ISBN 4163905065 
  4. ^ 白鳥 1970,p155
  5. ^ 白鳥 1970,p155-156
  6. ^ 内田 1975,p96
  7. ^ 白鳥 1970,p155-157
  8. ^ 内田 1975,p30-31,p109
  9. ^ アベル・レミュザ (Recherches sur les Tungues Tartares.1820) や、ユリウス・ハインリヒ・クラプロート (Asia Polyglotta.1823) が唱導して以来、東胡民族は通古斯 (Tungus) 族のことであって、「東胡」という文字も恐らくこの Tungus という音を写したものであろうとの考が一時おこなわれたが、その後この東胡=ツングース説はほとんど信じられなくなっている。《内田 1975,p3》
  10. ^ 白鳥庫吉は「東胡民族考」(『史学雑誌』21-24、『白鳥庫吉全集4』)において、中国古典中に記録せられて残っているところの、東胡の後裔なる鮮卑柔然族の言語(※烏桓の言語はほとんど残っていない)を調査して、これが現在のツングース語およびモンゴル語をもって解釈せられること、端的にいえば彼等の言語はツングース語とモンゴル語の混合(モンゴル語的要素はツングース語的要素よりも多数、とする)せるものであったことを論考した。《内田 1975,p3》
  11. ^ Boodberg (1936)Bazin (1950) によると、東胡の子孫である鮮卑族、特に拓跋部の言語は turkish ないし proto-turkish original であるという。《『騎馬民族史1』p9 注15》
  12. ^ ポール・ペリオは1925年秋のレニングラードにおける講演において、4-5世紀の華北を支配した鮮卑拓跋部の語彙を基礎として、鮮卑はテュルク語使用の民族であったと発表したとW.W.バルトルトは紹介したが (W.W.Barthold:Der heutige Stand und die nächsten Aufgaben der geschichtlichen Erforschung der Türkvölker〔Zeitschrift der deutschen Morgenländischen Gesellschaft,Neue Folge Band 8 - Heft 2.S.124〕)、ついでペリオ自身は鮮卑語をモンゴル語とみる意味のことを Toung-pao XX.S.328 注3、XXVII.S.195. 注1 で発表した。バルトルトは鮮卑の言語はテュルク語であると論じ、鮮卑は疑いもなくテュルク族であったと結論し (Zwölf Vorlesungen über die Geschichte der Türken Mittelasiens〔Orta Asya Türk Tarikhi,Istanbul 1927.Die Welt des Islams Bd.XIV 1932.〕)、P.ブッドバーグは鮮卑拓跋部の語彙が本質的にテュルク語であることを論考した (P.Boodberg,The Language of the Tó-pa Wei.Harvard Journal of Asiatic Studies I-2 1936)。《内田 1975,p3-4》
  13. ^ エドウィン・プリーブランク(1962)や Ligeti (1970) によると、鮮卑語の特徴はモンゴル語であるという。《『騎馬民族史1』p9 注15、p218 注2》
  14. ^ L.Ligeti (Le Tabghatch,un dialecte de la langue Sien-pi,1970) は、鮮卑拓跋語はモンゴル語の特徴を有し、テュルク語の特徴とは相容れないと強調する。《内田 1975,p4》
  15. ^ 森安孝夫 森安講義への質問に対する回答(全面的に補足)
  16. ^ 内田 1975,p5-6
  17. ^ a b c 魏書』志第十九 官氏志
  18. ^ 《魏書校勘記·卷一百一十三·官氏志九第十九·二三》:次兄為拓拔氏後改為長孫氏 魏書官氏志疏證(下簡稱疏證)據古今姓氏書辯證(下簡稱辯證)卷三七(末韻下)、通鑑卷一一九.三七四六頁、卷一四〇.四三九三頁,云:「拓跋氏當作拔拔氏。」北朝胡姓考(下簡稱胡姓考)引元宏弔比干碑陰題名有「拔拔臻」,證此「拓跋」為「拔拔」之訛。
  19. ^ 《魏書校勘記·卷一百一十三·官氏志九第十九·二四》:次弟為侯氏後改為亥氏 胡姓考據元和姓纂(下簡稱姓纂)卷六(止韻下)通志氏族略(簡稱氏族略)六、辯證卷二二(止韻下),云:「侯氏當『係俟亥氏』之脱誤。」
  20. ^ 唐の社佑が『通典』辺防典に「可汗之号始於此(柔然社崙)」と注し、白鳥庫吉がこれを支持した(「可汗及可敦称号考」『東洋学報十一』)ため。《内田 1975 p285》
  21. ^ 内田 1975,p284-292





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