忽那重義とは? わかりやすく解説

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忽那重義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/05 05:38 UTC 版)

 
忽那重義
時代 鎌倉時代後期-南北朝時代
生誕 不明
死没 不明
別名 得能孫次郎、法名:道一[1][2]
官位 左少弁[2]
氏族 忽那氏
父母 父:忽那久重
兄弟 重義、重澄、重頼
重清義範
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忽那 重義(くつな しげよし)は、鎌倉時代後期から南北朝時代武将

経歴

忽那氏は代々伊予国忽那諸島を本拠とした水軍元弘元年(1331年元弘の乱では従来の河野氏への従属を改め、伊予の土居・得能氏と連携した[2]。子の重清義範喜多郡根来城に派遣しこれを攻略、更に久米郡星ノ岡にて長門探題北条時直を討つ[2]。のち一連の軍功により正慶2年/元弘3年(1333年)4月、後醍醐天皇の綸旨を受け左少弁に叙せられる[2]。以後は興国年間(1340-1346年)に至るまで南朝方に属し活躍するが、暦応2年/延元4年(1339年征西将軍懐良親王が九州下向の途上で忽那島へ来島すると子の義範と共にこれを援助した[1][2]

脚注

  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『忽那重義』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.170(1985)



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