心定とは? わかりやすく解説

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心定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 07:11 UTC 版)

誓願房心定(せいがんぼうしんじょう、建保3年(1215年[1][2] - ?)は、鎌倉時代越前国の僧。豊原寺円福院の開山[3]文永5年(1268年)、『受法用心集』[4]を著し、当時蔓延っていた名称不明の密教一派(「彼の法」集団)が掲げる教義を「奈利(奈落)の業報なり」と批難した。


注釈

  1. ^ 現在の南砺市細野(旧・越中國礪波郡細野村)。かつてこの地には光源寺または西方寺という真言宗の寺があった。現在、この地にある西光寺(浄土真宗)の由緒に曰く「住古此地ニ真言宗金谷山光源寺トイフ精舎アリシガ、元暦文治ノ頃、平家ノ残党五ケ山中ニ逃走ノ砌当寺ニ泊陣セシ為メ兵燹ニ罹リ一山悉ク煙滅ニ帰セリ」。また西光寺の別の記録には「已然真言宗ニ而寺号西方寺と申由ニ御座候」とあり、心定が訪れたのはこの光源寺ないしは西方寺であると考えられる[7]
  2. ^ 現在の坂井市丸岡町赤坂(旧・越前國坂井郡赤坂村)。同地の白山神社境内にある永仁2年(1294年)の年紀が刻まれた板碑に新善光寺の寺号が見える。願主は道阿弥陀仏と名阿弥陀仏[5]
  3. ^ ただし、『受法用心集』の現存する写本の1つである「高山寺本」では「越中国細野の阿聖あさりに秘密瑜祇等流法身三種の灌頂を受け、立川の一流秘書悉く書きつくし了ぬ」の「立川の」が削除されている。これについて彌永信美は「(もし心定が)立川流を相承した人であるならば、彼がその著書で自分自身が受法した立川流を批判するためにこの書を書いた、ということは信じがたくなる」、そのために「立川の」が意図的に削除されたという見解を示している[8]

出典

  1. ^ a b 池田 2015, pp. 41.
  2. ^ a b 彌永 2018, pp. 73.
  3. ^ a b c d 池田 2015, pp. 32.
  4. ^ いわゆる「立川流」資料集”. 2022年4月3日閲覧。
  5. ^ a b 池田 2015, pp. 33.
  6. ^ 『福井県史 資料編』 4巻、福井県、1984年1月、763-773頁。 
  7. ^ 『城端町史』城端町、2004年10月、21-27頁。 
  8. ^ 彌永 2018, pp. 20–21.
  9. ^ 彌永 2018, pp. 28–29.
  10. ^ Köck 2000.
  11. ^ 彌永 2018, pp. 1–8.
  12. ^ 福井県史 通史編』 1巻、福井県、1993年3月https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T1/0a1-01-04-01-01.htm2022年4月3日閲覧 
  13. ^ 福井県史 通史編』 3巻、福井県、1994年11月https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T3/T3-4-01-01-01-04.htm2022年4月3日閲覧 
  14. ^ 山本博文『古地図から読み解く城下町の不思議と謎』実業之日本社、2017年11月、119頁。 
  15. ^ 池田 2015, pp. 39.
  16. ^ 卍圓福院”. 日本の神社・寺院検索サイト 八百万の神. 2022年4月3日閲覧。


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