ひらまつ‐まさじ【平松政次】
平松政次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 14:23 UTC 版)
平松 政次(ひらまつ まさじ、1947年9月19日 - )は、岡山県高梁市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。
注釈
- ^ 大洋と入団契約を交わした1967年8月10日は大洋の平松との交渉権が切れる当日でもあった。都市対抗野球大会の終了日がこの日以降になった場合、大洋が自動的に平松との交渉権を喪失することを意味した。平松は事前に大洋側に対して、大会の終了後に入団表明を行うとしていた(大会中にプロ入りを表明した場合、即座にアマチュア資格を剥奪されるため)。また当時「巨人が平松の大洋入団を阻止するために、大会終了後直ちに平松を雲隠れさせる」という噂が飛び交っており、そのため大洋の関係者達はひたすら8月10日までに大会が終了することのみを願っていたという[5]。
- ^ 1970年の25勝のうち、7勝(完封4・防御率1.50)が巨人戦での勝ち星だった。これは、チーム全体の巨人戦勝利数(14勝)の半分にあたる。平松はこのシーズンから、「カミソリシュート」にスライダーを組み合わせるようになった。なお、巨人監督の川上哲治はこの年のペナントレースを振り返って、「平松に抑えられなかったら、ウチはもっと楽に優勝できた(2位阪神とのゲーム差は2)。シュート・直球・スライダーの組み合わせには王も長嶋も手が出なかった。」という趣旨の発言を行っている[5]。
- ^ 名球会所属投手で優勝未経験なのは平松と野茂英雄だけ。ただし野茂はロサンゼルス・ドジャース時代の1995年、同球団がナショナル・リーグ西地区で優勝した経験はある(ナ・リーグ優勝はならず)。
出典
- ^ 現役引退後に出演した資生堂「ヴィンテージ」CM(youtu.be/MH6iwtyqN9I)より
- ^ 「名球会comics 平松政次」には昭和26年2月22日、クラレ岡山工場のガス爆発で死去とある。
- ^ 「藤田平氏、平松投手とのライバル対決振り返る センバツ決勝で名勝負、プロで延長戦」『デイリースポーツ online』、2020年7月14日。2020年9月26日閲覧。
- ^ a b c d TBSテレビ (2022年10月17日). “入団率わずか37.9%!第1回ドラフト会議は“入団拒否”連発だった”. TBS NEWS DIG. 2022年10月17日閲覧。
- ^ a b 岡邦行『江川になれなかった男たち』三一書房、1983年、91-92頁。OCLC 673103408。
- ^ テレビ愛知制作『プロ野球列伝』での発言。シュートボール項参照。
- ^ “平松政次【後編】“カミソリシュート”で長嶋と名勝負/プロ野球1980年代の名選手 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年5月17日閲覧。
- ^ 近藤唯之『引退 そのドラマ』新潮社〈新潮文庫〉、1986年、63頁。ISBN 4-10-132204-X。
- ^ “平松政次 野球と子どもの成長について語る。”. 学びの場.com (2010年11月16日). 2022年8月23日閲覧。
- ^ 『平成29年 野球殿堂入り発表 伊東氏、星野氏、平松氏、郷司氏、鈴木氏が殿堂入り』(プレスリリース)野球殿堂博物館、2017年1月16日 。2017年1月16日閲覧。
- ^ “谷繁元信氏が始球式 外角低めにストライク”. 日刊スポーツ. (2018年8月9日) 2020年9月26日閲覧。
- ^ 「平松政次球場」の愛称を命名しました
- ^ 「平松政次球場」が誕生 高梁市神原スポーツ公園野球場に愛称
- ^ 「ベイOB会、新会長に斉藤氏、米挑戦意向の筒香にエール」『神奈川新聞』、2018年12月1日。2020年9月26日閲覧。
- ^ Sports Graphic Number 編『豪球列伝』文藝春秋〈文春文庫 ビジュアル版〉、1986年、[要ページ番号]頁。ISBN 4-16-810802-3。
- ^ “長嶋苦しめた平松の「カミソリシュート」 カーッとして誕生”. NEWSポストセブン (2015年1月23日). 2016年6月20日閲覧。
- ^ a b 「変化球握り大図鑑 シュート 平松政次」『週刊ベースボール』6月22日号、ベースボール・マガジン社、2009年、10頁、雑誌20444-6/22。
- ^ “長嶋苦しめた平松の「カミソリシュート」 カーッとして誕生”. NEWSポストセブン. 2021年10月9日閲覧。
- ^ “王貞治、張本勲が三冠王に向け、好調を維持/週ベ回顧”. 週刊ベースボールONLINE (2021年2月6日). 2022年1月25日閲覧。
- ^ a b c “第四話 【これぞカミソリ】レジェンドはやっぱり凄いです。”. デーブ大久保チャンネル YouTube (2021年9月28日). 2022年1月25日閲覧。
- ^ 村瀬秀信『4522敗の記録 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史』双葉社、2013年、135頁。ISBN 978-4-575-30518-0。
- ^ 文藝春秋 編『暴れん坊列伝 プロ野球乱闘史』文藝春秋〈文春文庫 ビジュアル版〉、1988年、[要ページ番号]頁。ISBN 4-16-810807-4。
- ^ 村瀬秀信 2013, p. 136
- ^ https://npb.jp/bis/players/71073824.html
- ^ “「カミソリシュート」平松政次さんに贈呈 岡山市 /岡山”. 毎日新聞地方版 (毎日新聞社). (2017年8月5日) 2017年12月3日閲覧。
- ^ “高梁市市民栄誉賞” (PDF). 広報たかはし 2017年10月号. 高梁市 (2017年10月16日). 2017年12月3日閲覧。
- ^ “岡山県スポーツ特別顕賞の贈呈について” (PDF). 岡山県 スポーツ振興課 (2017年10月26日). 2017年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月3日閲覧。
- ^ 「楽天松井裕樹が記録した3者連続3球三振を過去に達成しているのは?」『BBCrix』、2017年5月6日。2017年12月18日閲覧。オリジナルの2017年12月22日時点におけるアーカイブ。
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