山木兼隆とは? わかりやすく解説

山木兼隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/10 04:33 UTC 版)

山木 兼隆(やまき かねたか)は、平安時代後期の武将平兼隆(たいら の かねたか)または大掾兼隆(だいじょう かねたか)ともいう。桓武平氏大掾氏の庶流和泉守平信兼の子[注 1]


注釈

  1. ^ 吾妻鏡』では、伊勢平氏平維衡の末裔だと記されている。
  2. ^ この頼朝の挙兵については、自らに近い頼政系の源氏が伊豆からいなくなってしまった工藤茂光が、急遽頼朝を代理の旗頭に仕立て上げたとの説もある[8]。また、兼隆の目代在任の短さから、本質的には頼朝と兼隆という中央から下った2人の流人とそれを取り巻く人的ネットワーク同士の衝突とみるべきだとする説もある[9]

出典

  1. ^ a b c d 八巻俊雄 1988.
  2. ^ 『愚昧記』安元3年5月16日条
  3. ^ a b 川合康 2019, p. 42–44. -「中世武士の移動の諸相」
  4. ^ 『山槐記』治承3年1月19日条
  5. ^ 『吾妻鏡』
  6. ^ 石井進 『日本の歴史 7 鎌倉幕府』 中公文庫、1974年。
  7. ^ 『山槐記』治承4年5月26日・『玉葉』治承4年9月3日条および『公卿補任』天福元年条(平時兼項)。
  8. ^ 永井晋 2010.
  9. ^ 川合康 2019.


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