平井繁男とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 平井繁男の意味・解説 

平井繁男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/16 13:18 UTC 版)

ひらい しげお
平井 繁男
生誕1867年3月8日
三重県津市
死没 (1925-09-10) 1925年9月10日(58歳没)
墓地多磨霊園
国籍 日本
出身校関西法律学校卒業[1]
(現・関西大学
職業実業家官吏
肩書き特許辨理士

平井 繁男(ひらい しげお、慶応3年2月3日1867年3月8日〕- 大正14年〔1925年9月10日)は、日本実業家官吏特許辨理士[1]推理作家江戸川乱歩の父[1]

来歴・人物

三重県津市出身。武士の家柄で津藩の藤堂家に仕えていた七代目平井杢右衛門(陳就)・後妻の和佐との間に生れた。関西法律学校(現・関西大学)第一回卒業生として卒業後、青年官吏として三重県名賀郡右名張町(名張市)役所に奉じた。この頃、津藩家臣の長女のきくと結婚し、1894年 (明治27年)第一子を儲け、太郎と命名。これが後の江戸川乱歩である。間もなく、鈴鹿郡へ転勤。1897年に東海紡績同盟会の職員となり、名古屋に移った。東海紡織同盟会書記長を歴任。

1908年(明治41年)輸入機械の取次ぎ販売、外国保険代理店、石炭販売に関連した平井商店を開業したが、1912年(明治45年)に倒産。一家は朝鮮馬山へ移住し、土地開墾事業に従事する。その後大阪へ移り、晩年は特許辨理士となり、著書『日本商法詳解』を刊行した。

家族・親族

参考文献

  • 『江戸川乱歩とその時代』PHP研究所 2014年、8-9頁

脚注

  1. ^ a b c 平井 繁男多摩霊園。2018年1月10日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「平井繁男」の関連用語

平井繁男のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



平井繁男のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの平井繁男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS