島田牙城
島田牙城の俳句 |
晝寢すと言ひたるままに荼毘にあり |
島田牙城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:42 UTC 版)
島田 牙城(しまだ がじょう 1957年2月9日-)は、京都府出身の俳人・編集者。日野草城の学生時代の句友で夭折した中西其十[1]の再発見や、27歳で第二次大戦の戦火に斃れた俳人・平松小いとゞの再評価[2]、「ゆきあひ」「桃柳」[3]など日本文化に根ざしていながら歳時記に登録されていない季節の言葉に光を当てるなど、市井の研究者としての側面を見せながら、徹底取材による「俳」の体現、俳句作りを提唱している。
- ^ 「里」2011年11月号に島田牙城報告「新資料発見 1922年其十夭逝 全207句」が掲載され、翌12月号「特集 中西其十を読む」には、室生幸太郎、宇多喜代子、伊丹啓子、川名大、四ッ谷龍が執筆している。
- ^ 2020年、谷口智行編(黄土眠兎・森奈良好編集協力)『平松小いとゞ全集』として結実。「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)は2021年春号で「文芸研究の醍醐味や出版文化の意義に触れることのできる一冊」と、編集部記事として評価を与えた。
- ^ 島田牙城著『俳句の背骨』収録の「新季語提言 ゆきあひ考」(初出、「里俳句会通信」2002年9月号)および「『靑々歳時記』を読む 一、新季語「桃柳」立項のこと」(初出、「里」2014年3月号)。
- ^ 島田牙城句集『袖珍抄』p.128
- ^ 小句集『火を高く』掲載、今井聖「跋・不思議に出帆」参照
- ^ 「東雲」創刊号、木村登「私とがきの会 - その結成より - 」1977年9月
- ^ 「しばかぶれ」第二集(2018年7月) p.30田中惣一郎による「ロングインタビュー」
- ^ 「里」2009年10月号p.10によると、第一回は2002年3月。同じく「里」2011年4月号p.2の牙城「まえがき」に「第十回で幕を閉じた」とある。
- ^ 例えば、生野毅は「図書新聞」(2010.4.17)で「俳句界に久々に新風を送った選集として各方面で話題になり」と記す。
- ^ 松岡正剛は「千夜千冊」の1461夜 - 1462夜で連続して『関揺れる』を『六十億本の回転する曲つた棒』とともに取り上げている。 なお、この本は2012年2月24日深夜に御中虫がツイッターに投稿した125句をたまたま目にした島田が3月31日には第一刷を出すという緊急出版であった。
- ^ 「朝日新聞」(俳句時評)受難者の横顔 角谷昌子
- ^ 「跋」を書いた今井聖が文中「第一句集」と表現していることから、刊行当初は第一句集という位置付けだったようだが、『袖珍抄』「あとがき』及び「略歴」では、著者自身これを「小句集」と位置付けている。
- ^ 島田牙城著『俳句の背骨』p.219「あとがき」
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