岩田鳴球とは? わかりやすく解説

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岩田鳴球

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 01:55 UTC 版)

岩田 鳴球(いわた めいきゅう、本名:久太郎、 明治7年(1874年7月30日 - 昭和11年(1936年9月22日)は、日本の俳人

来歴

石川県大聖寺町(現・加賀市)本町生まれ[1]。1894年高等商業学校(現・一橋大学)中退[1][2]俳句正岡子規[3][4]高浜虚子に学んだ[5]

三井物産に入社し[1]、1905年から三井物産台湾支店長として台湾に赴任。初の台湾俳誌『相思樹』の選者となり[5]、1906年から『相思樹』主筆[5]

三井物産専務理事を経て[6]、1918年大本教に入信[3]総務や出版局(現・天声社局長大正日日新聞編集局長[7][3]、第一天声社社長、統理補などを務めたが[8]大本事件で、1936年に獄死した[5]

編書

  • 『大本略史 再版』第一天声社 1931年

脚注

  1. ^ a b c "岩田 鳴球". 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」+Plus. コトバンクより2024年4月9日閲覧
  2. ^ 東京高等商業学校同窓会々員録 明治44年11月改
  3. ^ a b c "岩田鳴球". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2024年4月9日閲覧
  4. ^ 大聖寺の人物大聖寺地区まちづくり推進協議会 広報部会
  5. ^ a b c d 沈美雪『相思樹』小考--台湾最初の俳誌をめぐって日本台湾学会報 / 日本台湾学会『日本台湾学会報』編集委員会 編 (11), 233-246, 2009-05
  6. ^ 栗原彬「郷の立替え立直し-出口王仁三郎」年報政治学/33 巻 (1982)
  7. ^ 6,相次ぐ新刊天声社
  8. ^ 大本七十年史 下巻 図書 大本七十年史編纂会 編 大本, 1967



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