岩本裕司とは? わかりやすく解説

岩本裕司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/30 16:27 UTC 版)

岩本 裕司

2024年8月27日 横浜銀行アイスアリーナにて
愛称 アイスホッケーの鉄人
ミスター雪印
国籍 日本
生誕
出生地
(1962-04-08) 1962年4月8日(62歳)
日本
北海道苫小牧市
ポジション フォワード
所属チーム 横浜GRITS
学歴 駒大苫小牧高
所属歴 雪印 (1981 - 2001)
代表 日本
プロ選手期間 1981年 – 2001年

岩本裕司いわもと ゆうじ1962年4月8日 - )は、北海道苫小牧市出身の元アイスホッケー選手、指導者。アジアリーグアイスホッケー横浜GRITSに所属。

経歴

苫小牧市立和光中学校、駒大苫小牧高に進学し、1981年雪印乳業に入社し、アイスホッケー部に入部。1999年からは選手兼任監督に就任。2001年の廃部に伴い現役を引退した。日本リーグ通算604試合出場は2009年時点での歴代最多出場記録であった[1]

第22回日本アイスホッケーリーグでは、ベスト6・アシスト王・ポイント王を獲得した。

日本リーグでは604試合の出場で、239ゴール、263アシスト、502ポイントをあげた。  

アイスホッケーの鉄人」「ミスター雪印」と呼ばれ、日本アイスホッケー界を牽引した。

また、日本代表としても、リレハンメル五輪予選などに出場した。

指導者としては、日本アイスホッケー連盟強化委員を務め、2004年に、U-20代表アシスタントコーチ、2007年にU-18代表アシスタントコーチ、2008年よりU-20代表ヘッドコーチを務め、2年目の2009年には、チームをDivision IIからDivision Iへ昇格させた[1]

2009年から北米ジュニアリーグのノースアメリカン・ホッケー・リーグ英語版(NAHL)のモーターシティーメタルジャケッツ(現:ジャームズタウン・アイアンメン英語版)のアシスタントコーチに就任。

2011年にチーム名が変更後もアイアンメンのアシスタントコーチを継続。

2013年6月7日にH.C.栃木日光アイスバックスの監督に就任した[1]

2017年6月13日にアイスホッケー日本代表の監督に就任した[2]

2024年6月14日に横浜GRITSのヘッドコーチに就任した[3]

脚注

  1. ^ a b c 【お知らせ】アイスバックス新監督に岩本裕司氏が就任”. H.C. 栃木日光アイスバックス (2013年6月7日). 2014年2月23日閲覧。
  2. ^ 男子代表新監督 岩本裕司氏”. 日本アイスホッケー連盟. 2017年6月14日閲覧。
  3. ^ 岩本裕司ヘッドコーチ 就任のお知らせ” (June 14, 2024). June 15, 2024閲覧。

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