山梨交通電車線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 05:25 UTC 版)
警察署前以南のキロ程は1953年の経路変更以後の値。変更以前は0.1 km長い。
注釈
- ^ このため馬鉄線の路線が使用された部分は少なく、当初計画でも甲府駅前から柳町通りいっぱいの1 km程度であった。市内区間開通後はそれが600 m程度まで短縮、1953年のルート変更以降は警察署前電停手前の150 mのみとなった。計画では石和方面の路線も使用する予定があったが、結果的にほとんど馬鉄線の路線を継承しないまま終わった。
- ^ 本来ならばこの時点で山梨電気鉄道は解散したはずであるが、『民鉄要覧』(現在の『鉄道要覧』)には休止となって廃止許可申請も出されずに放置され、とっくの昔に特許が失効していてもおかしくないはずの馬鉄線が、1986年版まで同社名義で「長期休業路線」として掲載されていた。この項目については謎が多く、同社が休眠会社として存続されていて特許を持ち続けていたのか、それとも同社の存続の有無にかかわらず廃止許可申請がなかったため特許を持つものとして載せ続けていたのか、この時期まで特許が継続したものとして扱われていた理由はつまびらかでない。
- ^ 帝国銀行会社要録 昭和18年(31版)(国立国会図書館デジタルコレクション)にまだ山梨電気鉄道は掲載されており常務の矢崎は峡西電力(昭和17年関東配電に統合)の取締役であり、また山梨電気鉄道と峡西電気鉄道の住所は同じ甲府市橘町18である。
- ^ 同社では社長を置かず、専務が社長を兼ねていた。親会社の峡西電力も同じ体制であった。
出典
- ^ 元鉄道院理事、相模鉄道社長、横荘鉄道取締役『人事興信録. 10版(昭和9年) 』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 電車線跡記念碑の建立 - 山梨交通
- ^ 『“リニア駅―甲府中心部「LRTを」』(プレスリリース)日本経済新聞、2023年8月3日 。2023年9月12日閲覧。
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1926年8月17日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『鉄道統計資料. 昭和4年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1930年4月28日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1931年7月29日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 「軌道特許一部取消」『官報』1936年4月6日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 社史『山梨交通60年史〜甲府盆地の暮らしとともに』
[続きの解説]
「山梨交通電車線」の続きの解説一覧
- 1 山梨交通電車線とは
- 2 山梨交通電車線の概要
- 3 概要
- 4 接続路線
- 5 脚注
固有名詞の分類
- 山梨交通電車線のページへのリンク