対米国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:10 UTC 版)
村山内閣成立時、当時のアメリカ合衆国大統領ビル・クリントンは社会党出身の総理大臣に警戒心を持っていた。しかし1994年の第20回先進国首脳会議(ナポリ・サミット)前の会談にて、村山が貧しい漁村に生まれ育った自らの生い立ちから、政治家を志すに至る過程などを訥々と語ったところ、これを聞いたクリントンはいたく感動し、その後のサミットでも不慣れな村山をとかくサポートしたという。村山のそれまでの海外渡航歴はわずか4度しかなく、本人も不安を持ちながらの参加であったが、無難に乗り切ることができた。
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