富国映画社
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富国映画社(ふこくえいがしゃ、1932年2月 設立 - 同年6月 解散[2])は、かつて奈良に存在した映画会社である。時代劇俳優の羅門光三郎と原駒子を中心に設立したが、短命に終わった。製作した映画はすべてサイレント映画であった。冨国映画とも表記する[1]。
- ^ a b c d e f 冨国映画撮映所 1、大原社会問題研究所、2012年12月15日閲覧。
- ^ a b c d キネマ旬報社[1979], p.310.
- ^ a b 田中[1976], p.198.
- ^ a b c キネマ旬報社[1979], p.636-637.
- ^ 羅門光三郎 - 日本映画データベース、2012年12月15日閲覧。
- ^ 原駒子 - 日本映画データベース、2012年12月15日閲覧。
- ^ キネマ旬報社[1979], p.530-531.
- ^ キネマ旬報社[1979], p.543.
- ^ キネマ旬報社[1979], p.130-131.
- ^ a b 冨国映画撮映所 2、大原社会問題研究所、2012年12月15日閲覧。
- ^ 冨国映画撮映所 3、大原社会問題研究所、2012年12月15日閲覧。
- ^ 女優奈々子の裁判、日本映画データベース、2012年12月15日閲覧。
- ^ 1930年代、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月15日閲覧。
- 1 富国映画社とは
- 2 富国映画社の概要
- 3 脚注
富国映画
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「大塚周一 (撮影技師)」の記事における「富国映画」の解説
すべて製作・配給は「富国映画社」、すべてサイレント映画である。 『女優奈々子の裁判』 : 監督仁科熊彦、1932年7月29日公開 『嘆きの女間諜』 : 監督仁科熊彦、1932年製作・公開
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